ページの先頭です
  • もくじ
  • 序章 はじめに
  • 第一章 BISの国際基準
  • 第二章 本来の真相
  • 第三章 「罪となるべき事実」の不存在
  • 第四章 「真相」を隠蔽した大きな理由
  • あとがき

第一章
BISの国際統一基準

 本件は国際決済銀行(BIS)が国際統一基準とした自己資本比率8%規制が我が国でも通達され、「BIS規制8%」クリアを操作する目的で、大蔵省、大手都市銀行が一丸となり、ありとあらゆる特殊な取引が実行された証左なのである。
ここで「BIS規制」についてから客観的証拠に基づき説明していきたいと思う。

1.BIS規制の背景

 「プラザ合意」以後、日本の銀行の国際金融社会でのプレゼンス(存在感)が大きくなっていた。1983年時点で5主要先進国(米国、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)の銀行海外融資残高は米国がトップで6,600億ドル、日本が4,570億ドルで第2位であった。日本の残高はその後1986年〜1990年に拡大し2兆720億ドルになり、1983年から7年間で約4.5倍にもなった。

特に「プラザ合意」以後、それまで国際金融業務を仕切ってきた米国とイギリスの銀行が、我が国の銀行に対する圧力を加える目的で「規制」を考案したのである。1988年の「BIS規制」こそは、まさに我が国の銀行を国際金融社会において狙い撃ちしたものである。

 1980年代、米国は金融の自由化を進めた結果、米国貯蓄貸付組合(S&L)事件(全米で500以上のS&Lが倒産)や大手銀行の倒産等で崩壊の危機にあえいでいた。表面的には、一国の金融機関が破綻した場合、世界規模の影響があると懸念し規制を設けたとされています。これは破綻した銀行の特徴として、自己資本比率の低さが指摘され、自己資本比率の8%以上維持することで銀行経営の健全性の指標とした。仮に、アメリカが自国だけ自己資本比率規制をすれば自国の金融力、経済力を弱める結果になってしまう。

 一方当時、日本の銀行は自己資本比率が3%を下回っていたにも関わらず、国際金融市場で急激な発展をしていた。いわゆるバブル時代である。そしてアメリカは他国を巻き込みながら国際決済銀行(BIS:Bank for International Settlements 以下BIS)を利用し、我が国の銀行の国際金融社会での経済活動の押え込みを企図したのである。自己資本比率8%以上をクリアできない銀行は国際業務の撤退を余儀なくされたのだった。

 

次のページ